【体験談】シングルマザーがキャリアアップするには!?ウェイトレスから正規の事務職への転身 

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長い時間をかけてチャレンジしてきた、キャリアアップへの履歴を書き連ねています。

書きながら自分でも驚いています、改めていろんなことしてきたなぁって。逞しいはずだ!変化とか新しいこと、とか、全然怖くないですもんね。それだけでもプラスになっていることを確信しております。何があってもいつも笑顔で!これ大切♪

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目指せキャリアアップ!自分たちの幸せは自分で掴む!!

私はシングルマザーです。離婚を切り出された時には小2、小1、0歳の子供を育てている専業主婦でした。それでも離婚することを即決、その翌日から私の戦いは始まりました。

別居までの1年4ヶ月、時間をかけて話し合い、パートを決め、保育園を決め、生活のベースを作ってから離婚しました。

養育費も払って貰いました。今年度が最後です。そのための1年4ヶ月だったと言い切ります。短気を起こさず、とことん話し合いました。慰謝料はもらっていません。

このお話はキャリアアップとは何の関係もないので、また今度ゆっくり書きますね。

諦めない心

華麗なる職歴 シングルマザーになってしまった!でも負けない!

さあ!離婚!!どうしよう!!仕事だ!働かなきゃ!!末っ子は来週で1歳!すぐには無理だぞ〜!?

エントリーナンバー14 大手企業のレストランホールスタッフ

離婚を決めた日から約1年、末娘が2歳になるのを待って、仕事を始めました。1歳、7歳、8歳の子持ちだと仕事は無いし、離婚するまでは、保育料も高額ですからね。

その時に正社員を選ばなかったのは、一般企業に入れるスキルが何もなかったから。

もし面接を受けにいっても、3人の幼子がいて、雇ってくれる会社は無かったことでしょう。その点、飲食店は学生さんがいらっしゃるので、割と休みやすいし、接客の経験がいくつかあったので、合格するのでは無いか、と内心自信がありました。

そこで、家ー保育園ー職場をぐるりと回っても3Km!って感じの、岡山県が本社の大手レストランにフルタイムのパート、ホールスタッフとして入社しました。

9時〜17時を週に6日。月に170時間くらいですね。それでも時給が650円だったので、総支給額11万円ほど・・・。社会保険にも入れず、本当に苦しかったです!マジで生活保護の方が高収入だったと思います。

知識不足なために、働くことしか頭に無かった故、なんですけど。結果的にはそれで良かったと思います。ただ、生活保護を受けて勉強とかしていたら、また違った道が拓けていたんでしょうけどね。子供達に寂しい思いをさせずに済んだし・・・

それでも、このお店で経験したことは、先々の私のスキルに大きな影響を与えてくれました。

たかがウェイトレス、と侮ることなかれ!

フランチャイズ店を含め、当時(20年前)全国に250店舗以上を構えていた、そのレストランの本社のお膝元。我が家の近くにあったその店は、研修やメニューの開発が常日頃から行われており、社長、社長室長、部長、開発部長などのお偉いさんが、何かあるたびに現れる実験店舗。

アルバイトでありながら、フランチャイズの社員研修を任され、メニュー開発の時には、ホールスタンバイの手順やマニュアル作りのお手伝いをし、季節ごとの店舗内の装飾なども、自由にやらせてもらっていました。

オペレーションもなかなか厳しく、いわゆるワンオペ、これもモーニング2時間、夕方2時間、時間勤務のうち合計4時間くらいワンオペ、っていうことも全然珍しくありませんでしたね。

店舗の席数は120くらい、常に5組はお客様がいらっしゃる状態でのワンオペ。その状態で、朝はランチのスープ・デザートの仕込み、夕方はディナータイムの仕込みをしつつ、電話を取りつつ、接客をしながら掃除をする、そんな勤務形態。

仕込みでは、数量決定をある程度任されておりましたので、過去の売り上げを元に、メニュー毎の売り上げ予測を立て、廃棄の無いよう、不足の無いように。それが毎日の日課。

これで時給、最高690円。安すぎ!!笑えるくらい。

年始なんかは学生さんが帰省、主婦はお正月、っていうので、朝9時から夜9時まで、ほぼほぼ満席の中、ホールスタッフ6人、とかで頑張って回して、休憩時間は15分(お互いに負担になるので)とかで戦闘したのを覚えています。

メンバー間に信頼関係が築けていたので、キツいながらも充実した仕事でした。

飲食店のお仕事は、誰でもできる!っていう人もいますが、それならばやってみろ!!って感じですかね。少なくともここは、10人に1人くらいしか研修を終わらせることが出来なかった、コスト管理も厳しい、とってもハードでキッチリしたお仕事場♪体験入社をオススメ♡

ここで一緒に戦った10歳年下の女の子は、今でも飲み友達、最高の友人ですし、ここのコスト管理が後々、経理のお仕事の役に立ったことは間違いありません。

エントリーナンバー15 スーパーの総菜担当者

14番目のお仕事で唯一困っていたのが社会保険。当時その会社では社会保険をかけてくれなかったの〜〜!!

そこで、新しい店長と喧嘩したのをきっかけに、2年3ヶ月でレストランを辞め、徒歩5分のスーパーマーケットがリニューアルオープンする、という機会で、惣菜部準社員として入社。

準社員とはいえ時給だったので、まぁフルタイムパートとさほど待遇は変わらず。ただ、社会保険に加入してくれたのが、ここでは一番嬉しかったことでした。

準社員、という立場上、会議に出席したり、日々の発注や棚卸しなど、今までやってこなかったことを経験しました。

でも、レストランで売り上げ予測を立てた、スタンバイ業務をしていたことが役に立ち、機械の使い方を覚えるくらいで、特別困ることもなく。

困っていたのは、従業員の都合で定時で帰れないこと。当時まだ末っ子が4歳だったので、これはシングル家庭としては致命傷。

前勤務のレストランで新事業が立ち上がる、来てみないか?という誘いを受け、社会保険加入を条件に、スーパーは半年で退職しました。

エントリーナンバー16 中華レストラン新事業立ち上げ準社員

総菜店の前に2年半勤めたレストランが、新事業を立ち上げる、そのホールスタッフ・準社員として、リターンした訳ですが、まぁ、相変わらず時給で働きます。

でも、経験者、準社員ということもあって、時給は以前よりアップ、750円!ちょうどその頃、保育園で延長保育が始まり、ここでは朝9時〜18時までの勤務を週6日。約14万円で保険を引かれて、やっと手取り12万円くらいに。

これがまぁ、さすが大手の新事業立ち上げ。普段見られないものが、たくさん見られました。

毎日変わるメニュー。売り上げ予測、実績に応じて日々変わっていくオペレーション。お箸、ランチョンマットなどの消耗品、制服までも。ホールは私たち、準社員3人で伝達ノートを作り、オペレーションをまとめていきます。

そんな変化の毎日に耐えきれず、案の定、辞めていくアルバイト。開店時には半分くらいいなくなって!。

開店後も、毎日毎日が変化の連続です。社員さんは、ほぼ毎日泊まり込み。こんな日々が約1ヶ月続き、開店時、120人位いたアルバイトは、実に40人位まで減りました。(この後20人位に落ち着く)

ずいぶん内容が定まったG.W. 私は、お客様の席を割り振り、ホール全体を回していく場所に配置されたのですが、ここで教わったのが、そのやり方次第で、売り上げに大きな差が出る、ということ。開店前に告げられました(汗)ド緊張しましたね〜。

その店は中規模店舗で、大小4つのホールで140席。見込み客単価は1,200円くらい。

その日達成した数字は、11時の開店から23時閉店までの12時間で満席7回転、つまり約1,000人のお客様で、見事!開店からの目標だった100万円の売り上げを達成!!

ピカチュウの育成系歩数計は1万5千歩くらい♡ 娘に頼まれて、歩数を稼いでいたのでした(笑)

そんな新事業の立ち上げ後は、ホール食材の発注や社員研修など、準社員として、シフト作成と売り上げ・利益等のコスト管理以外の業務は、大抵させてもらいました。お花も活けていましたよ♪市場でたんまりお花を扱っていたので、お花の管理、できましたから♡

ここで働いた、濃い濃い2年と10ヶ月。レストランと合わせてこの会社での5年と1ヶ月の経験は、後々大きな力を発揮してくれることとなります。

毎日作ったマンゴープリン

実験的営業が終わり、業態変更を告げられ、体力的・頭脳的に限界を感じていた私は、事務職への転換を計ります。私37歳、子供14歳、13歳、7歳の1月3日で飲食店勤務終了です。

エントリーナンバー17 岡山県臨時職員

飲食店勤務が終了した翌日、1月4日より岡山県臨時事務職員として、事務デビュー!

秋頃に採用試験を受け、無事に合格の後、自転車通勤範囲内の部署に採用されました。

こちらでの仕事は主に、総務の方のお手伝い。コピーをとったり、出勤簿をつけたり。事務用品の発注などもやっていました。これは得意分野ですね♪

この頃、ちょうど平成の大合併の真っ最中。ほとんど使えなかったパソコンで、練習がわりにラベルを作ったりすることがたくさんあり、おかげさまで、新しい名前に変わった市町村などについて、非常に詳しくなりましたよ。

暇な時間も多かったので、この時間を利用して、CAD利用者2級の資格も取りました、使用する日は来ませんでしたけど・・・

まぁ、ある意味有意義な10ヶ月(任期)でしたかね?パソコンやコピー機、使えるようになったし。事務員の練習期間としては最適でした。工場勤務の次にやりたくない仕事ですけど・・・

エントリーナンバー18 債権回収テレフォンオペレーター

あれ?最初にカウントした17を超えてる・・・う〜ん。このままだと20に到達しそうだ・・・

ま、いっか。

さて。県の臨時職員を任期満了いたしましたが、これで就職できるほどの事務経験が付くわけもなく。失業保険など頭にもなく、ひたすら就職活動。

CADの資格を活かしたお仕事をしたかったのですが、私の取った資格は初歩段階。図面が読めないので意味がなかったのです。5社くらい落ちたかもしれません。母子家庭は信じられないから、実家の親のことを調べる、と言われたこともありました(怒)

何社か登録した派遣会社も、工場勤務しか紹介されず、任期満了から2週間後、やっと事務系の紹介が来ました。

それが債権回収テレオペレーターの仕事。派遣期間はなんと1ヶ月!!

悩んだ末、背に腹は変えられず、長期の可能性もある、という派遣会社の説明の元、一部上場企業のカード会社に、初期滞納回収員として採用されました。

これが!意外と面白かったんです!!

債権について詳しくなったり、相続のことや死後の口座凍結のことなど、普通の暮らしの中ではあまり気にしない事柄、あとは個人情報保護法について、よくわかるようになりました。

でも、一番勉強になったのは、

  • 山奥で年金暮らしをしているお年寄りが、半ば騙されたり、子供の購入した高級車の保証人になって月々の生活に困窮していたり、といった社会問題
  • 払えなくて自己破産したり、自殺したり、といったニュースの裏側。
  • 親が滞納者の場合、子供が教習所などのローンを組めない(保証人になれないから)、などなど。

お金にまつわる、人間の苦悩を聞けたことは、自分の人生に大きな影響を与えてくれました。

日々、回収のため(初期滞納で支払えば裁判を免れることは可能)とはいえ、長時間に渡ってお話したり、会ったこともないおばあちゃんの愚痴を聞いたり、通常ではできないことをさせてもらえて良かったと、今でも思っています。

華麗なる職歴 始めての正社員編

債権回収業はお給料も良く、それまでのお給料では一番多く戴けていて、初めての賞与もあったり(途中から直接採用パート社員になった)したのですが、当時、世の中を騒がせた、債権業のグレーゾーンの問題が発生しました。覚えていらっしゃいますか?

それにより、債権回収の部署は全国的に関東と関西の2箇所に、その他は閉鎖!という会社の決定があり、3年経験した事務業を履歴書に書きこみ、正社員採用を探し始めました。

そこで見つけたのが、今の会社です。ここから、現在に至るまで、12年の歳月が流れるわけですがこれがちょっと、またまた変化に富んだ12年でして・・・

次の話へ続く、とさせていただきます。

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