【子供の心】引きこもりへの導線/親の離婚

長男が引きこもりに至った記録である、このカテゴリ。だんだん気が滅入る出来事が増えてくるので手が止まっていました。

でも、過去の私や長男と同じように悩む人も多い、この現代。

何かの足しになればいいな、と思って始めたブログ。書き進めます。

長男が不登校になるまで、あと6年。

子供たちの居場所

小学校2年生から3年生に起こっていた、引きこもりへの導線

長男が小学校2年生の夏休みから始まった離婚への道のりは、ゆる〜い家庭内別居、というか、元旦那の家庭内単身赴任的という生活で1年半続き、子供達は精神的に不安定な日々を過ごしておりました。

特に心の繊細な長男は、そんな諸々の空気を感じ取っていたのでしょう。

2年生の2学期から、離婚した3年生の3月までの1年半の間にも、様々な感情を表現していたようです。

記憶の奥底にしまい込まれた当時の出来事

ちょうどこの頃だったと思います。長男が感情を爆発し始めたのは。

『思います』という無責任な書き方をしているのには、訳があり、結婚している間の私の記憶が、とても曖昧だったり、ほとんど無いのです。

写真が残っていることや、子供の試合などは覚えているのですが、特に岡山市内に転居してからの家庭内の記憶が曖昧で、写真を見てだんだんと思い出す、といった状態なのです。

思い出したくないことは脳の奥底にしまっている、記憶の書き換え、が行われているのかもしれません。

学校で受けていたイヤがらせ

人付き合いが苦手で、「愛想よく」とか、「同調」とか、「適当に」

そういった行動がとても苦手な彼は、上の学年や同級生の何人かから、時折イヤがらせを受けていたようでした。

時々そんなことをうかがわせるような出来事もありましたが、本人が語らないのと、私自身が離婚騒ぎで子供をちゃんと見られていなかったこともあり、このことは彼が大人になって、本人から聞来ました。

ただ、その頃、学校の先生との関係が、うまくいっていないことは当時も感じていました。

明らかにそれはイジメを引き起こす言動だろう、ということを先生がクラスに向けて教室で話したことがありました。そのことについては本人から直接訴えがあったため、学校へ抗議、それから某お役所勤めの父親からも、彼のルートで教育委員会を通して抗議してもらいました。

教師とはいえひとりの人間。決して人格者でもなんでもない、ただ職業として「教鞭をとっている」という、それだけの人間。相性が悪いこともあるでしょう。

でも、先生との相性が、子供にとっては人生で致命傷になることもある

私は、そのことにまだ気付いていなかった、未熟な母親でした。

あの時、彼を守ることができていたら、6年後の不登校は起こらなかったのかもしれません。

努力は「自分を裏切らない」という自信

学校ではなかなか周囲と馴染めなかった龍①ですが、2年生の5月より始めた剣道では、徐々にその頭角を現すようになってきました。

体も小さいし、そんなに器用でもないので、特別強い、とか、上手い、という訳ではありませんが、人一倍真面目で努力家。バネもあるし、繊細な分、観察力が優れている。

毎日500本の素振りを欠かさずやり、道具の手入れも怠らない。

派手な技はできないけれど、的確にまっすぐ打つことで、少しづつ白星を重ねていきました。

ただ、水面下の努力というものは理解されにくい。表情もそんなに豊かではなく、勝ったからといって子供らしく喜ばない。ただ、安定感はある。

団体戦では白星を期待されるも、勝ってもそんなに褒められはしない。確実に大将に繋げることができる副将、といったポジションでした。

本人も私も「勝って嬉しい」というより「負けたら悔しい」という方が優先なので、可愛げがないのです。これは、最近まで私がそういう考えで生きてきたので、全くもって、私の責任です。

でも、これから先、高校3年生まで続く剣道生活。良くも悪くも彼の中に、努力は自分を裏切らないという自信が確立されたようです。

そしてこのことが、後々の、「引きこもることの理由付け」となってきます。

子供は、親の愛情を計測している

学校や周囲の環境で傷付くことも多い、周囲に馴染めない子供達。

そんな子供達の居場所であるべき家庭、その家庭が崩壊していく時、やはり一番辛い思いをするのは子供達です。

我が家は3人の子供がおりますが、その繊細な性格に年齢的なものも手伝って、長男がいちばん辛い思いをしていたようです。ひとつ間違えば大きな事件に発展、今、ここに彼が生存していなかったかもしれないような出来事も、1度ではなく、繰り返されていました。

結婚生活を終わらせることを決意させた、飛び降り未遂

勉強も剣道も、努力の割にはなかなか周囲から認められない、長男龍①。

家の中は直接説明されないものの、両親は仮面夫婦。とても辛かったと思います。

その頃やった、数回のプチ家出。夜になって家を飛び出し、私達がどういう反応をするのかを、すぐ近くに隠れて、何時間も見ていた彼。探されなかったらそのまま遠くに行こうと考えていた、ということを後々話してくれました。

愛されているか不安だったんでしょうね。それを確認してみたかった。言葉ではなく、態度で、様子で、何時間もかけて。

他に、当時住んでいた5階のベランダを乗り越え、体を半分以上外に落としかけたことも、1度ではなく何回かありました。小学校3年生の秋だったと思います。これも、全力で止めた記憶があります。最後は父親が引きずり入れたような・・・

直接の理由は、そんなに大したことではなく、とにかく「このままではダメだ」と強く感じました。その宙ぶらりんな生活が、彼の繊細な心を傷つけている!そんな気がしたのです。直感、としか言えません。早く別居をしなければ!と心を決め、それからすぐに新居探しを始めました。

ベランダ飛び降りが未遂に終わったのも、家出がプチ家出で終わったのも、彼の行動が狂言ではない心の叫びなんだ、ということを直感的に察知できたことが、大きな事故に繋がらなかったんだと思います。

ほんの出来心が大惨事になるのを防ぐのは、大人がボタンのかけ違いを防ぐこと、これしかないのかもしれません。子供の想像を超えるくらい大事に捉えて未然に防ぐ、子供の想像以上に愛情を示す、これが欠けているのかもしれませんね。

心の支えだった弟妹

あの頃、9歳の長男は2歳だった妹を本当に可愛がっていました。家庭内単身赴任の父に替わって、生後間もなくから、オムツ換え、ミルクやり、遊び相手・・・本当の父親のように接し続け、大きくなるにつれ、躾や遊びなど、人としての学びも与えてくれていました。

年子の弟の面倒も良く見てくれていましたが、何せ「いっさい人のことが気にならない」という次男。それはそれは兄の逆鱗に触れる存在です。それでも、遊び相手としては最も身近な存在。その後も、現在に到るまでも、それはそれは激闘の積み重ねな兄弟ですが、大切な存在であることは確かなようです。

【引きこもりへの導線】子供の心に休憩場所を

大人も生きていくのに必死な現代。私が子育てしてきた20年前より、ますます世の中は狭く、貧しく、差別・区別・分離の進んだ、キリトリセンがあちこちに見える世の中になってしまっている気がします。

こんな世の中で何ができるんだ!?こんなに余裕ないのに!!

そう、それでも。生きていかなければいけない。子供達は、大人になって自分の足で、このガサガサの荒野のように荒れ果てた国で、自分で生きていかなければいけない。

その時、いちばん力になるのは、休憩できる力、ではないかと思うのです。

ちょっと休むこと、休んで道をもう1回探すこと、何度でもそれが繰り返せる心の強さ。

自分のミスや間違いを、他人ではなく、自分が許してあげられないから辛い。それを育めるのは、親であり、周囲の大人であり。

あの時の彼にしてあげられなかったこと、今、29歳の彼に、実行しています。

その成果をいつかまた、このブログで、みなさんにお伝えできますように・・・

人生のベンチ

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